Jayne の経験談

作者: Jayne

12才の時、初めてHSAN1aの症状が現れました。私はレジでお財布の中の小銭を取ることができませんでした。母に言いましたが、「心配しないで」と言われました。あの時から、診察してもらう時に、いつもこのことをお医者さんに話しました。脳ガンかもしれないと母が心配していましたが、心配してくれたお医者さんは一人もいないようでした。

私は34歳の時に2番目の子供を産みました。私はこの子の世話をするのが難しいと感じ始めました。私は「ママと私」のクラスにサインアップしましたが、私ができることは、側に座って子供の遊び姿を見るだけでした。私は子宮内膜症と診断されたので、他の母親がすることが私にできないのはこれが原因だ、といつも思っていました。私は盲腸も切ったので、それも原因の一つだ、と自分に言い聞かせていました。

私はジムに行くことなど体育活動は、どれも好きではありませんでした。運動は人を快適で健康に感じさせますが、私は疲れと痛みを感じます。以前は水泳が好きで、テニスの練習もしていましたが、膝に問題を起こしたので、やめました。

私はいつも調子が悪くて、痛みや疲れを感じ続けていました。最終的に、睡眠時無呼吸症と診断され、それがみんながやっていることを私はやる気がしない原因だ、と思いました。生活を始める計画を一生している、と冗談を言っていましたが、それは冗談ではありませんでした。私は、寝ること以外、なにかをやリたいと言うエネルギーや欲望がなかったのです。私が寝ることで生活を逃れていると母に誤解されて、私たちの間は気まずいものになりました。その後、僅かの数年間に、夫の両親と私の両親が次々と亡くなりました。私にとって最も大きいな衝撃は母が亡くなったことです。だから、自分の健康状態が悪化しているのはこれらのことに対する自分の体の反応なのだ、と私は思いました。

足指の灼熱感が始まった時に、緩和する方法は見つかりませんでした。ちょうどこの時に私の娘が癲癇と診断されました。娘の主治医はいい医者だと思ったので、私も見てもらいました。私の主治医とこの医者は二人とも私は慢性炎症性脱髄性多発神経炎(chronic inflammatory demyelinating polyneuropathy: CIDP)、と診断しました。 それで月に五日間の免疫グロブリン静注療法(IVIg療法)が始まりました。最初は致命的なアレルギー反応の恐れがあるので、入院部で行われました。私は多くのアレルギー反応がありました。そのあとは外来で、五日間連続で毎日8時間の治療を受けました。その時はちょうどリスク子供¹ を教えていて、毎月の欠席もよくなさそうで、保険会社から家で治療を受ける許可をもらいました。しかし、私はいつもの低血圧で血圧が突然急上昇し、そして他の急性副作用もありましたので、病院の輸液センターに送り返されました。それで治療中止ということになりました。

その後、私はニューヨークの長老派教会医療センター²で、ドクターワイマー(Dr. Weimar)という良い医者 に見てもらいました。診察した後、病因は永遠にわからないかもしれない、痛みのコントロールしかできない、と言われました。残念ながら、その後ニューヨークの長老派教会医療センターは私の保険を受け入れてくれなかったので、付近の疼痛管理専門医に見てもらうことにしたのです。

疼痛管理専門医は私にメタドン(methadone)を処方しました。私にこの薬しか鎮痛の効果がなかった のです。年に何回かの痛みがおこしてしまうので、そうなったら救急室に行って、エクストラの薬をもらわなければいけません。その後、専門医がモルヒネを処方してくれたので、痛みが起こるたびに服用するように、ということでした。一回痛みが起こった時、どんな薬も効かなかったので、先生はガバペンチンをくれました。30 ミリグラムまでのメタドンと900 ミリグラムまでのガバペンチンを、1日3回飲みました。(全部で90ミリグラムとメタドンと2700ミリグラムのガバペンチンを飲んでいました。)本当に山のような薬です。ガバペンチンを追加したら、痛みは止まりました。

去年のある日、シンクのそばに立って歯を磨くことができないことに気づきました。体が何かに寄りかからないと制御できないほど後方に傾いていきます。その時、Dr. Weimer の外来へ戻りました。私の状況はかなり悪くなっている、と先生がすぐ気づきました。その日、私は多くの神経検査を受け、採血され、様々な検査を行うために、私の血液サンプルを送り出しました。私は先生からの質問内容から、私の病気はhATTR³かもしれない、と感じたのです。それは致命的な神経障害です。今回は保険が適用され始めたので、遺伝子検査が行われました。

11日後、Dr. Weimer からの電話がありました。先生はいいお知らせと悪いお知らせがあるといいました。良いお知らせは、私はhATTRではないことで、悪いお知らせはHSAN1aがあることでした。今は、診断が確認し、Lーセリンを飲む量も分りました。私は買って飲み始めましたが、飲むと湿った土のような味がします。飲むときに吐き気がします。私の体重だと一日に大さじ3杯くらい飲まなければなりません。ジュースの中に混ぜて飲もうとしましたが、あまり変わりません。その後、頭痛や吐き気や下痢などの副作用が起こったので、飲むのをやめました。何週間か後に、小さい量から飲み始めて、それから徐々に少しずつ加えていきました。一週間も経っていないのに、副作用が全部再発しました。だからタブレットの方を試してみました。でもそうすると、私は、服用すべき量を至るために、一日に一つのボトルの分を摂取しないといけないのです。値段だけでも不可能なことです。一つのボトルは30ドルをかかるのです。

子供に検査を受けさせたかったので、その先生の外来に戻りました。これは遺伝性の病気なので、両親がどちらかが病因遺伝子を持つと、子供に受け継ぐ可能性があります。私の娘は受け継がなかったので、彼女の娘は検査を受ける必要はありません。残念ながら、私の息子は受け継いでしまいました。私たちの診断が確認された時に、彼の妻がちょうど妊娠している、と気付きまして、だから生まれたばかりの息子は遺伝子検査を受けなければいけません。もし私の変異が新生変異ではなく、親の方からもらったものとしたら、両親のどちらから受け継いだのか永遠にわからないままだと思います。私の父親は57才の時に亡くなりました。父に、いくつかの症状がありましたが、痛みなどを訴えたことはありませんでした。母親が亡くなったのは71才で、何の症状もなかったのです。だから、多分私はこの家族で最初にこの病気と診断された人です。この病気がどんなに希少なのかに気づいた時、驚きました。世界中でただの一人が私と同じ変異を持っていて、彼女とこの事を話し合うことやインフォのシェアなどのことができるのは、とても幸いだ、と思います。

この病気は非常に珍しくで、まだわからない部分がたくさんあります。私のお医者さんは体が耐えられる範囲で出来るだけもっと多くのLーセリンを飲んだ方がいい、と言っていました。私は40錠⁴まで飲めないので、12-16錠飲むことはできます。私は一回に4錠、1日3回に分けて飲んでいます。もし一回で全部飲むと、頭が痛くなりましす。少し飲んでいくことは完全飲まないより良い、と私は思います。

私にとって、今の症状で生活するのは難しいです。運転することはあまりできません。足にあまり感覚がありません(神経性の痛みはあるけど)。足からお尻の部分まで鋭い刺激と鈍い刺激の違いを区別することができません。手の力も弱り、昔出来たことが今はできなくなりました。ボタンをはめることや宝石をつけることや物を開けることなどができなくなっています。トランプのブリッジをやるときもカードを持つことができないのです。料理もほとんどしません、鍋が重くって、包丁を使うのも難しいのです。

体のバランスが取れないので、一人で外へ出かける時、ワーカーを使わないといけません。歯を磨くときもドアに寄りかからないと行けないのです。一人の時は出来るだけシャワーをしません、今までに3回も転んだのです。

未来に対しての期待は自分が今やれることを維持する(あるいは進歩する)こと、孫たちと一緒にいられることです。10才の孫娘が居て、彼女はたくさんの生活のことを手伝ってくれます。生まれたばかりの孫は二ヶ月で、私は面倒を見ることができます。私は、息子と息子の妻が決めたすべての子供たちに同じ世話をすることができるようにしたいです。私にとっては家庭の世話をすることができることは大切です。もしも、それが出来なかったら、私は真に生きているとは感じられません。

PTとOTは少しは役に立ちますが、ほとんどの場合は、代わりの方法で障害のことを解決するのです。私の生活は短い間に100から0に落ちました。Lーセリンは効くかどうかはわかりません。効くとしても、私今の状態を維持するだけです。それも望んでいますが、本当に望まないのは、自分で何かをしたい時にだれかに車に乗せてくれないか、と頼まなければならないとか、実際自分の手は何か一つのものさえも取ることが出来ないという病気のことを頭に浮かべることです。また、薬を飲む必要がなくなるように願っています。私はもう薬の飲みすぎです!この「飲み過ぎ」をしてもただ生きていられるというだけのことなのです。

この病気に罹ったことは不幸ですが、お医者さんからの電話を思い出すと、あの「悪い知らせ」はもっとひどかったかもしれません!ですから、私はそれを覚えて、今でもできることやずっと分かり会えてきた友達のことを感謝しながら、この病気と戦って行きたいと思います。

¹ ドロップアウト、あるいは道を踏み誤った未成年の      こと
² New York Presbyterian Hospital
³hereditary Amyloid Transthyretin
⁴体重で計算すると、40錠飲むべき